お能こぼれ話
一昨日の『寺子屋 in としょかん』
論語のお話だったけど、講師の安田先生が能楽師ということでお能の話もちらほら。
お能は室町時代から続く芸能だけど、江戸時代ではすでに「つまらないもの」と思われてたそうな。
江戸時代では子どもが言うことを聞かない時に「お能に連れてくよ」というと子どもはシャキッとして言うことを聞いたとか笑
なのになぜ現代まで残っているのか。
それは先生いわく、
「わかりやすくしなかったから」
(かといって、わかってもらう努力をしなくていいという意味ではない)
ああなるほど、と思った。
わかりやすさは時に人をわかったつもりにさせる。
対象そのものがまるで自分の手中に入ったかのように。こんなもんかと。
その先にある奥深さの入り口に立ってもいないのに。
この世の中は一生かけてもわからないことの方がほとんどで、だからこそ、追求していくのだ。
なんかわかんないけど、わからないなりに追求していくのだ。
たとえ一生わからなかったとしても、それがおもしろいし楽しいのだ。
わかりやすさに溢れた世界は退屈でしかないと思っている。